伊豆大島、土石流被災地訪問
昨年11月の南相馬への被災地訪問に引き続き、9月に局地集中豪雨による大規模土石流災害に見舞われ、多くの被災者を出した伊豆大島に闘牛場や郷見庵での募金をお送りした縁で、3月11日~13日に闘牛会、ふるさと会の有志及び東日本大震災後福島から長岡市に避難している南相馬の方等総勢11名で大島を訪問し被災者を激励してまいりました。
竹芝桟橋から夜10時の便で東京港の夜景を見ながら出航し翌朝の6時に大島岡田港に到着しました。大島町役場を朝の内に表敬訪問し、被災の状況、仮設住宅の様子等の説明を受けてから、椿まつりの最中で椿の花と大島桜が同時に咲いている島内を周遊し、夕方に仮設住宅を訪問いたしました。
温暖の島、伊豆大島でも2月の関東地方の大雪時には三原山の山頂付近では40cm以上と数十年ぶりの積雪を観測し、山の中腹以上では今も残雪は見られ、平地でも数センチの積雪があったようで、仮設暮らしの被災者の皆様には厳しい冬を迎えたそうです。
仮設住宅には26戸のご家族が入居されているそうですが、生憎、平日の昼間の訪問になったため、数軒のご家族しか在宅されておりませんでしたが、「山古志産コシヒカリ」や郷見庵でも販売しているふるさと会会員による「手作り民芸品」を贈呈してから、被災の状況や中越地震の経験を踏まえて、お互いの仮設での暮らし等語り合い交流を図って参りました。
最終日には参加したメンバー全員が復興支援を兼ねて大島名産品のお土産を沢山購入し岡田港に着きましたが、当日は春を呼ぶ低気圧により海上は大時化で東京便は4便中3便が欠航でしたが、予約の便のみ出航でき、荒れた海を無事乗り切り帰路に着きました。
ふるさと会の蕎麦屋が開店!?
7月末に種を蒔き、10月に予定より少な目でしたが8kg蕎麦が収穫できました。
今年も木籠ふるさと会のイベント行事は自前の蕎麦粉での恒例の蕎麦打ち大会で締めくくりました。お子さんも含めて、30人程で、蕎麦打ち係り、茹で上げ係り、天ぷら係りにと分担して賑やかな蕎麦祭となりました。天ぷら揚げはベテラン主婦揃い、どこの店に出しても恥ずかしくないパリッとした、かき揚げ、かぼちゃ、レンコン、神楽なんばんのてんぷら!そして3年前に菌を植えたなめこが立派に育ちましたのでなめこ汁も!
ご当地流のふのりつなぎの蕎麦打ちも、素人でも5年目経験を積んだベテランの指導の許、始めて体験した人のお蕎麦も、お店で出る蕎麦に近い出来になったように感じられます。
数日前の残雪がありましたが、当日は久々の晴天になったので屋外で”野だて蕎麦”としゃれ込み、出来上がった60人前の蕎麦は参加した方達、郷見庵を訪れたお客さんにも召し上がって頂き、集落の各戸にお裾分けでき大盛況の蕎麦祭となりました。(来年は蕎麦店を開いたらとの噂も!?)
11月10日(日) 福島南相馬に行ってきました
11月10日、山古志闘牛会とふるさと会、あわせて30人ほどで、福島県南相馬市の仮設住宅へ今年の新米を届けに行ってきました。震災以来、山古志の木篭でたくさんの被災者の方々と励まし、励まされ、お付き合いをさせていただきました。でも、自分で福島に行ったことがない、自分の目で福島をまだ見ていない、そんな少し後ろめたいような気持が、やっと報われた会員も多かったことと思います。
皆で袋詰めをして、松井会長さんのメッセージを入れたお米を、ひとつひとつ仮設住宅の方々に手渡しました。恩返し地蔵さんも一人で200個も作られたふるさと会のお母さんが、お年寄りから小さなお子さんにまで丁寧に手渡しました。“元気になってね、頑張ってね”の言葉も、いつの間にか“ありがとうね、頑張ろうね”になって、山古志の私たちも、福島の方々も、お互いに支えあって進んでいるんだなあと思いました。
その後、集会場で伴奏の伴さんが音頭をとってみんなで歌の会。“私が有名な歌手なわけじゃないけれど、ここに集まった皆さん一人一人が素敵な歌い手さん”その言葉とユニークな伴奏で、懐かしい、あったかい歌をみんなで歌いました。「花は咲く」を歌いたい!その歌詞はとても心にしみこみます。大勢がひとところに集まって、声をあわせて元気をもらいました。笑いに涙に手拍子に。みなさん本当にありがとうございました。
バスは海に向かって進みます。広がる草原はかつての田んぼです。雨も降り始めて荒れる海。“津波はあの林も丘も呑み込んで、あの山のふもとまで舟が転がっていたんです”「あの山」と言われても、雨の中ではかすんで見える遠く向こうの山。“集まっていたお年寄り、車にいた若い人たち、みんなみんなここで亡くなりました” 海を背に、観音様に向かって懸命に話す宍戸さんの言葉は「私たちのことを忘れないで」と言っているようでした。
帰り道、飯舘で鮮やかな紅葉の山々と、ふもとの家々の人気のなさに言葉を失いました。街灯だけつき始めても、家に明かりは灯りません。南相馬も中心街はすでににぎやかな街のよう。でもたくさんの仮設住宅に住む方々とその暮らしぶりに、“私たちが帰れる日はいつ来るのでしょう”と、今なお長岡で避難生活を送る方は言いました。“私たちと同じだったよお…”と目頭を押さえる木篭のおばあちゃん。先の見えなかった9年前を思い出されたのでしょう。小さいけれど、ひとりひとりの私たちの今日の気持ちを、これからもずっとつなげていきたいと思います。
10月23日中越震災メモリアルの日
10月23日の中越地震メモリアルの日はまた郷見庵の3周年でもあります。今年も村の人とふるさと会の仲間で感謝祭を開きました。もてなしの餅つきや豚汁、牛煮込みの出店、落花生・お茶のつかみ取りなど数日前からみんなで相談しながら力を合わせて準備してきました。
今年はそれに加えてプロの歌い手さんのコンサートを開くことに!昨年山古志に来られた清水康子さんが仲間達と一緒に郷見庵でボランティアでライブを開いてくださることになりました。前日は大雨でハラハラしましたが、当日は見事に晴れ!
静岡や埼玉からやってきてくれたふるさと会々員さんも加わって朝から集落の皆さんと仲間で会場準備やおもてなしに大忙しでした。ライブ会場はふるさと会員のNさんが、手作りのテラスを和風にアレンジした野外コンサートです。
清水康子さんたちご一行も郷見庵に到着しました。そうこうこうしてしているうちに観光バスなどでお客様がやってきてテントやお店が賑わいだしましたよ。
振る舞いの餅つきは 郷見庵の名物。搗くのも慣れたもの、お餅ちぎりも我らにお任せあれ。臼端にはお餅でほっぺを膨らませた人たちの輪が広がりました。あんこにきな粉の搗きたてのおもちは コシが強くてうまいよお~!
さあ、おなかもいっぱいだし ライブを始めましょうか・・と思った時、サプラズが!!村の公共施設に勤務されているお嬢さんが「実は私、今日入籍するのです」と聞いたものですから急遽、みんなの前でお祝いすることになりました。村の人たちの「おめでとう」「おめでとう」の祝福を受けて恥ずかしそうに嬉しそうに微笑むお二人さん、末永くどうぞお幸せに!!!。
さあ、今度こそ今日のメインイベントの開始です。名づけて『ふるさとはここに』コンサート。司会は地元ケーブルテレビのアナウンサー荒木さんです。清水康子さん、椿井 亘さん、岩花淑子さんの歌とと軽妙なトーク中西紫鳳さん、新津幸音さんによる津軽三味線や民謡さすがにプロの方の舞台は魅了しますね。歌い手さんの熱唱に会場から手拍子やダンスまで飛び出して楽しく進行していきました。
お礼に花束を渡してもらったのは、その日福島から駆けつけてくれた宍戸さんです。また会員のNさんは自宅のコシヒカリまでプレゼントしてくれました。
最後に復興応援歌『花は咲く』を会場の皆さんと一緒に歌ってコンサートはフィナーレ。和やかな素敵な山のコンサートでした。『清水康子さんと素敵な仲間達』のみなさん本当にありがとうございました。
こうして郷見庵のメモリアルデーは過ぎていき、9年前、地震が起きた5時56分がきました。山古志体育館では多くの人たちが黙祷をささげました。
震災後過疎化・高齢化が加速している今の山古志ですが、清水さんの『ふるさとはここに」の歌詞のように
今はたとえ離れていても『友達・仲間・そして家族』にとっての『ふるさと』が確かに ここにあると思えた一日でした。
蕎麦の刈り取り ~一粒も残さずに \(^v^)/~
10月6日(日)、夏に真っ白だった蕎麦の花畑は、茎を茜色に染めて三角の実を実らせました。お天気も秋晴れ。
木篭の名人に伺うと午前中の摘み取りが肝要とのこと。午後になると実が落下し易いのだそうです。みんなで一気に摘み取りたいところでしたが、なかなか大変。蕎麦畑が昨年より広いうえに、実りも良い!どれくらい採れるかな…うれしい声に少しおしゃべりも交えつつ、黙々と手を動かしました。
お昼は寺泊からいらしたお客様に、おいしいお魚のてんぷらを揚げていただきました。揚げたては格別。ごちそうさまでした。
元気をだして午後からもう一息摘み取りを頑張ることに。午後になると赤とんぼや秋風も出てきて気持ち良かった。仕事の合間のつめたい清水はおいしかった!
摘み取った蕎麦の実を、集落で次々に選別してテキパキと天日干ししてくださっていたお母さん方の協力もあり、何とか今日中に蕎麦の摘み取りと天日干しが終わりました。
今年は間違いなく、去年のリベンジができましたね。11月の蕎麦打ちが楽しみです。
脱穀お疲れさまでした!!
9月30日(月)晴れのうちにと急遽前倒しで行なった脱穀作業も無事昨日終わりました。(昨年より出来が良さそうです!)
少数精鋭で臨んだ作業、大変だったと思いますが、お手伝いいただいた方々、本当にありがとうございました。しかし、さすが精鋭隊!少ないからこそ精を出して一生懸命汗を流していただき、何故か昨年より早く作業を進めることができたということです。青空の下、田んぼの畔での昼飯も、残りの作業の見通しが立った中で、余裕を持って楽しく賑やかに頂きました。
黄金色の稲穂とぽかぽかお日様につつまれて
9月23日(祝)お日様に恵まれ、黄金色に実ったたんぼにみんなで入りました。田植えのときの早乙女の衣装も健在。ひと株ひと株もくもくと稲を刈る人、再会の喜びに並んで稲刈りを楽しむ人、初めての稲刈りに木篭のお母さんたちに教わりながらゆっくりたんぼで頑張るお姉さん。背丈ほどの稲を果敢に運ぶ子供たち。それぞれがそれぞれに、収穫の喜びを味わいました。
午前中、3枚の田圃を刈り終えると、ご飯隊のお母さんたちが作ってくれた肉汁やおにぎりのご馳走でみんなでお昼ご飯。「木篭で初めてみんなでご飯を囲む楽しさを知りました」と言ってくださる方も。土の上でお日様に当たって汗を流した後、みんなで食べるご飯とお汁は最高です。午後からは、はざかけ作業をもうひと踏ん張り頑張りました。約50人、1日がかりの大変な作業でしたが、美味しいお米ができますね。お米もとってもありがたく思えました。みなさん、本当にありがとうございました。お疲れさまでした!!
山古志ウオークお疲れさまでした!
9月14日(土)初秋にしては蒸し暑く、今年の山古志ウオークは参加者の方々にとって少しきつかったのではないかと思います。それでも、木篭の郷見庵からゴールまではあと5キロほど。最後のひと踏ん張りです!!「山ちゃん海女ちゃん」案山子と水没家屋の上に舞う凧がエールを送ります。木篭の冷たい湧水でのどをうるおしていただき「ああ美味しい!」、「もう一息、頑張ってくださいね」と見送らせていただきました。山あり谷ありの21キロは、並大抵の21キロとはわけがちがいます。それでも「山古志は歩いていて景色が変わるから楽しい」と言ってくださる方々。みなさん、無事にゴールされたことと思います。ご苦労様でした。来年もお待ちしています。
木篭の盆踊り~今も昔もずっと変わらず受け継がれて~
8月15日、月天子、天の川に見守られて、今年も諏訪神社にてお盆の神事、盆踊りを行いました。
この日は連日の猛暑が続くただ中の一日でしたが、15時からの支度を終え神事が始まる16時ころには涼しくなって、おごそかに神事が執り行われ、焼きそばや牛の煮込みをいただいた後、住民、元住民、隣の梶金集落、議員さん、会員、東洋大学、長岡技大の学生合わせて50人の方が集まって踊りの輪を作ってくださいました。皆さん本当にありがとございました。
「午後7時過ぎ、誰とも「開始」の合図もなく、元住民の方が一人で太鼓をたたき始めると、境内を包むように並べられた竹灯篭の灯りがそれに呼応するかのように明るさを増して、神社と人々を浮き上がらせます。
音頭取りが太鼓に促されて「さて合点だいー」「さて頼みだいー」と歌が始めると、座ってお酒を召し上がっていた壮年も婦人も、眠っていた体中の木籠DNAと血が急に騒ぎ出し、誰かれとなく立ち上がって踊りの輪を作っていきます。
浴衣姿の学生さんは昨日も他で踊られていたので、まるで住民のように品良く踊りだします。やがて梶金の衆も加わり太鼓の加勢が増してくると、盆踊りもヒ゜ークに達しるつぼ状態。皆さん本当に生き生きとした顔で幸せそうです。この顔見たさに会に入っているんだなーと実感しながら、8時半に踊りは終了。
さて盆踊りに限らず、文化は人に希望と勇気と生きる喜びとを咲かせてくれます。私たちはこれからも木籠の住民が先祖から受け継がれた財産、宝物を守り支え、共々に生きる喜びと明日への力の糧にしていきたいと思います。
7月28日 蕎麦の種まきで汗流し、BBQ・歌の会~!!
7月中旬に鎮守様の掃除をしていた時のこと「ね、ね、久しぶりにみんなでバーベキューしたいね。」 との声がでました。
「 蕎麦の種蒔きは7月末がいいと思うから、その日はどう?」「『山古志音頭』の歌も教えてもらいましょう。 」
というわけで、当初の行事予定にはなかったけど、話はとんとん拍子にまとまりました。
昨年、HPを通して『木籠・ふるさと会』の会員になられた伴さんは元音楽教師で、各地の福祉施設などへ“音楽出前”のボランティアをされています。蕎麦蒔きのお誘いと歌の指導をお願いすると、埼玉から駆けつけるとOKしてくださりそして歌唱担当は 知り合いの燕市の首藤先生にお願いできました。首藤さんはFM三条で「。「首藤隆司の童謡・唱歌」という歌番組を担当されている方です。お二人ともお忙しい中を来ていただき、ありがとうございました
後はお天気だけですが おお! 晴れましたよ!
午前中から山の畑で蕎麦の種蒔き作業に頑張る男衆!マメトラで耕し、浅い溝を掘り、蕎麦の種を蒔き、少し肥料もいれ軽く土をかぶせます。夏の陽射しの下で、ビッショリ汗だくになって仕事に励んでくれました。
昨年の収穫は日照りでちょっと残念な結果だったのでリベンジを狙ってます。今年こそは 大豊作を期待しましょう♪11月にはこの畑で採れる新蕎麦での 『蕎麦打ち会』が待ってるからね~♪。暑い中 本当にお疲れ様でしたぁ!。
農作業が終えるのを待って、BBQの始り はじまり~。・・・ってもう始まってるし (笑)
BBQの準備を担当してくれたのは女子衆。山古志産の牛肉と新鮮野菜がタッ~~~プリ用意されています。
ドラム缶のBBQコンロで焼かれるお肉の美味しそうな匂い。「いただきまーす」 もそこそこにパクつきます♪。美味しいものを食べると、みな いい笑顔になりますよね。
お腹もいっぱいになったことだし、この後は歌で賑やかに!伴さんのキーボード伴奏で『山古志音頭」を教えていただきました。首藤さんの張りのある歌声にリードされながらメロディを口ずさみます。『山古志音頭』は昭和48年にまだ合併する前の山古志村で作られたものです。作詞は加藤次馬先生、作曲は浅井政尾先生で現在の山古志小学校の校歌も作曲されていますよ。
続いて 今は廃校となった「梶木小学校校歌」『東竹沢小学校校歌」も流れお母さんたちは母校の校歌を感慨深く思い出したようです。さらに歌は 「ふるさと」 「十日町小唄」「高校三年生」etcと盛り上がり ついには踊りだす仲間も (笑)ふるさと会のボーカル児玉さんも自作の「がんばろうて 山古志」を熱唱。時間も忘れて歌って踊っての楽しいひと時となりました。
蕎麦も蒔いたし、BBQも美味しかったし、「山古志音頭」も覚えたし?
この日も楽しかった思いを胸に山古志をあとにしたのでした。